名勝負を文章で楽しもう!(重量級編)

こちらは、過去の名勝負を海外記事の文章からより深く知り、楽しむためのページです。
店主の翻訳による、厳選した内容をお楽しみください。


■カシアス・クレイvsソニー・リストン第1戦
1964年 2月24日 フロリダ、マイアミビーチにて クレイの7ラウンドKO勝利
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ヘビー級チャンピオンが次に戦う相手がクレイだということが公になった時、22歳に訪れたチャンスをとりまく懐疑的な見方がほぼ一般的であったと言っていい。専門家はみな、<ルイビル・リップ>(クレイのニックネーム)はふさがれ、<ガシアス・カシアス>(同ニックネーム:<ガス状のカシアス>という意味)から噴き出す言葉はいずれ止み、自分自身を<ザ・グレーテスト>と呼んだ男は、現チャンピオンの不朽の名声に向けた歩みの中で単なる足跡にすぎなくなるだろう、と信じていた。

その現チャンピオン、チャールズ・ソニー・リストンは筋骨隆々の前科者で、連勝を延ばし続けていた。身長は6フィート(約183cm)にやっと届くぐらいだったが、リーチは84インチ(約2m13cm)と長く、彼の15インチ(約38cm)の拳は最も大きなパンチの面として記録に残っている。彼のジャブは骨を震わせるほどの衝撃で、普通にボクシングをしただけでもフック、クロス、アッパーは恐るべき結果を生み出した。リストンは、何年か前、1962年9月25日に公式にタイトルを獲得してから世界一の強者と考えられていた。その日に、リストンはフロイド・パターソンをたった125秒で粉砕し、10か月後にラスベガスで行われた再戦では第1戦より4秒長くかかったが、これはレフェリーが3つのノックダウンをカウントするために時間がかかったにすぎない。

リストンの35勝1敗(25KO)のうちの唯一の敗戦は、1954年9月のマーティー・マーシャル戦で8ラウンド2−1の判定負けを喫していた。これはリストンが8ラウンドのうち半分をあごが割れた状態で戦ったからで、この負傷は彼のおどけた仕草のうちのひとつをリストンが笑っていた際にマーシャルがパンチを打ってきた時におこったものだ。リストンの相手を委縮させるような眼光は、それに耐えられる者でなければそのぎらぎらする光の中で溶けてしまうほどの彼の持つ武器であり、そしてそれ自身が武器となるものだった。「脅威的」「不気味な」「有害な」は、彼のにらみつけてくる目、彼が放つオーラ、そして人々が彼をどう認識していたのかを表現するのに使われた形容詞のうちのいくつかを挙げたにすぎない。

クレイとの対戦に向けて、リストンは28勝のうち23戦をノックアウトで終わらせており、これは直近の14戦のうち13勝のノックアウト勝利も含まれている。挑戦者にとってはさらに悪いことに、リストンの最大の武器は左フックで、これと同じパンチでクレイはもう一人のソニー、すなわちソニー・バンクスとヘンリー・クーパー戦でダウンを喫していた。8−1でリストン有利と出ていたオッズはあまりにもクレイに甘いものに思われ、そしてリングサイドに陣取ったスポーツライター46人のうち43人はリストン勝利と予想した。

自身の恐怖と闘うために、クレイは相手を「大きな醜い熊」と名付け、時間をかけた精巧な心理戦を仕掛けた。ワークアウトでリストンを追い回したり、リストンの破滅を約束した無数のポエムを長々と吟じたり、真夜中にチャンピオンの自宅があるデンバーにバスを走らせメガホンで悪態を叫んだりしさえした。毎日リストンのいる場所に新しい非道行為をもたらし、クレイはそのあらゆる時間を楽しんだ。リストンが腹を立てれば立てるほど、チャンピオンの目に見えた有利さがなくなっていくであろうことがクレイには分かっていたからだ。

クレイの活動は、試合の朝に行われた計量の際に最高点に達した。乱心した振る舞いで、彼の心拍数は1分間に120まで上昇し、部屋にいた者の多くはクレイは彼自身の健康に対する強烈な恐怖からそう振る舞っていると思った。彼の行動により、マイアミ・ボクシング・コミッションに2500ドルの罰金を払うことになったが、しかし最終的な結果はそれ以上に価値のあるものだった。リストンはクレイをクレイジーだと思ったのだ。

しかし、事実はこうだった。クレイの暴走は、全て演技だった。計量を終え数分後に2度目に心拍数をはかった時は、1分間に54とアスリートとしての数字をあらわにし、血圧も通常に戻った。もう戦いは始まっていたのだ。

試合直前に向き合った際、6フィート3インチ(約190cm)とより身長のあるクレイはリストンをじっと見下ろし、チャンピオンに自分より背の高い相手と戦うことを知らしめていた。ひとたびゴングが鳴ると、より背の高い相手は、はるかにより速い相手でもあることを証明した。彼は簡単にリストンの突進パンチをすり抜け、そして彼の口答えは閃光のように素早く届けられた。刀のようにシャープな右で、3ラウンド目にリストンは目の下をカットし、ラウンドが終わるころには調子の狂ったリストンは呼吸が苦しそうになっていた。

予期しないほどクレイが強さをみせるのが早かったように、もう一つの信じられない筋書きのうねりが湧きおころうとしていた。4ラウンドと5ラウンドの間、クレイは目に何か入ったと不満を述べ、トレーナーのアンジェロ・ダンディにグローブをはずすよう求めた。ダンディは拒否し、クレイをリングの中央に押しやり「走れ!」と告げた。突然元気を回復したリストンは、5ラウンド中ずっと退却するクレイを追い回し続けたが、一連の攻撃が終わるころには挑戦者の目もはっきりしてきた。

6ラウンドは、歯切れのいいコンビネーションをリストンにあて、ずっとクレイのラウンドだった。そしてラウンドとラウンドの間にリストンはコーナーに棄権を申し出た。ヘビー級チャンピオンが椅子に座ったままタイトルを手放したのは1919年以来初めてのことで、たたきのめされたジェス・ウィラードがしぶしぶジャック・デンプシーにタイトルを明け渡して以来のことだった。

「世界を震撼させたぜ!」とクレイは繰り返しインタビュアーのスティーブ・エリスに向かって叫んだ。そして10年後、モハメド・アリとして彼は再び番狂わせをおこすことになる。

Lee Groves筆(web上のアメリカ、リングマガジンの記事より)





■モハメド・アリvsジョージ・フォアマン
1974年、10月30日 ザイール、キンシャサにて アリの8ラウンドKO勝利
(収録商品はこちら http://www.shop-az.net/?pid=56948848

もしカシアス・クレイのソニー・リストンに対する番狂わせが歴史的な驚きであったとすれば、モハメド・アリのフォアマンに対する勝利はより大きな衝撃であった。閃光のように素早い22歳のクレイが34歳のリストンを王座から陥落させた一方で、もうすぐ33歳になろうとするアリがより若く(25歳の)、大きい(190センチvs192センチ)、重い(218ポンドvs220ポンド)リストンを身体的により強くしたような相手に勝利した。しかも、ノックアウトによって。アリがそれ以前に最後にKO勝ちしたのは、2年近く前にライトヘビー級タイトル保持者であったボブ・フォスターを相手にしたものだった。そしてフォアマンと同じようなサイズの選手をヘビー級においてKO勝ちしたのは、その2試合前に190センチ、223ポンド半のアル・ルイス相手にした試合だった。しかし、この番狂わせが特別であるのは、単にアリが勝ったからというだけではない。それは、アリが予想もできなかった、可能とも思われなかったような方法で勝ったからである。最終的な結果とその過程、両方の点において。

若きジョージ・フォアマンは、40勝0敗(37KO)という恐ろしい戦績を突き進むまさに脅威であった。彼の92.5%というKO率は、先人であるリストンのそれ(クレイと最初に対戦した時は69.4%)を小さく思わせ、そしてフォアマンはより自分自身を堂々とみせるためにローブの下にタオルを入れるということを必要としなかったのである。そう考えると、フォアマンはそのままで十分すぎる素質を持っていたことになる。さらに、フォアマンのパフォーマンスは、彼の体よりもさらに力強かった。アリとの対戦を前に、フォアマンは24連続KO勝ちをおさめ、その相手にはアリに勝利したジョー・フレージャー、ケン・ノートンも含まれていた。3−1でフォアマン有利とする賭け率は、実際の実力よりもずっと接近しているように思われた。

リストンとの試合に向けてもそうだったように、アリは様々な面から心理的に相手に対して攻撃をしかけ、フォアマンを<ゾンビ>と呼んだりした。両選手ともアメリカ人であったにも関わらず、アリの魅力と地元住民への圧倒的な親しみやすさによって、ほぼすべてのファンがアリを支持するようになった。ある外出先で、彼は<kill him(彼を殺せ)>にあたる<bomaye(ボマイエ)>という言葉を知った。その時から、アリは群集に「アリ、ボマイエ」と、いつでもできる限り呼びかけるよう求めた。その一方で、フォアマンはトレーニングの敷地内にこもり、たまに外に出るときも警備に囲まれていた。

アリは、事前に自分は一晩中ダンスし続けると言い募り、最初のラウンドにその通りにした。しかし序盤3分間の中で、フォアマンは距離を詰めるのに非常に優れているとアリが時には気づかされる場面もあった。時間が経つと、フォアマンの頭に血が上って旗色が悪くなる前に自分のスタミナが切れてしまうことをアリは分かっていた。その点において、アリは年齢を考えざるを得なかった。そのため、フォアマンにアウトボクシングするのではなくロープにもたれかかり、血気盛んに攻めるフォアマンがパンチで消耗するのを期待して待ったのだった。

表面的には、それは悲劇的な自殺行為に見えた。そしてアリのファンとコーナーは、絶えずロープから離れろと叫んでいた。彼らがそう感じるのにはもっともな理由があった。というのも、アリはジョー・フレージャーとの第1戦で同じことをやろうとしてひどくパンチをもらったからだ。しかしながら、それ以来、アリは時間制限なしのスパーリングを繰り返して<ロープ・ア・ドープ>テクニックを完璧なものにし、次の何ラウンドかでそのパターンが現れることとなった。しばらくの間フォアマンの雷のようなパンチをくったあと、アリはピンポイントのカウンターを連射し、そのパンチはフォアマンの頭を反り返らせるすばらしいものだった。その間、絶え間なくアリはファマンに言葉を浴びせていた。「それで全部か、ジョージ?」「お前のパンチはへなちょこだ」「おい、もっと強く打ってみろよ」「お前はジョー・ルイスみたいなパンチが打てるときいたぜ」発せられた言葉は全て顔へのパンチのようで、この一刺しは特に効果的だった。「タイトルを俺に返せ!」

時間が経つにつれてフォアマンのガスタンクは底をついていき、5ラウンドごろにはパンチにほとんど威力がなくなっていた。アリの鋭いパンチはフォアマンの顔をとらえ、その顔と同じようにフォアマンの精神状態は悪い方へと傾いていた。8ラウンド終盤、アリは歴史的な形で試合を終わらせる。右ストレートの顔への5連発で、くたびれたフォアマンは前によろめき、キャンバスへ崩れ落ちた。フォアマンは懸命にしっかり立とうとしたが、そうしている間にレフェリーのザック・クレイトンがカウント・アウトした。

ずば抜けた勇敢さと賢明な戦略によって、アリは世界ヘビー級タイトルを2度手にした2人目の人物となったのだった。フォアマンにとっては、この試合の結果によっておきた一連の出来事は、最終的にキリスト教の救いを求める旅へと続くことになる。

2013年3月15日、Lee Groves筆(web上のアメリカ、リングマガジンの記事より)



 

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